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はじめまして、大熊町教育委員会です(後編)

改めましてはじめまして、大熊町教育委員会です。前編では2023年4月の開校を目指し、教育施設「大熊町立 学び舎 ゆめの森」を整備中であることを紹介しました。後編では、少し時計の針を戻して、大熊町が「ゆめの森」に至る歩みを振り返ります。担当は教育委員会職員の喜浦です。

前編はこちらから!


2011年3月11日のこと

2011年3月11日午後2時46分。福島県大熊町は震度6強の揺れに見舞われました。津波は沿岸部の約2平方kmに浸水。町民12人が犠牲になりました。大熊町には、東京電力福島第一原子力発電所が立地しています。沿岸部にある福島第一原発も10mを越える津波に襲われ、電源喪失、1~4号機が放射性物質を放出する事態に至りました。

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3月12日、大熊町の全域に避難指示が出されました。多くの町民が「2、3日のつもりだった」避難は、10年以上が経った2021年12月現在も町の大半で継続中です。放射線量が低かった町の一部の地区では2019年4月に避難指示が解除され、そこに役場庁舎が新しく建てられました。

あれからの10年

全町避難から間もない2011年3月末、大熊町は新年度からの教育再開を前提に避難先を福島県会津若松市に定めました。同年4月、町の想定を上回る、幼稚園児135人、小学生357人、中学生216人が、会津若松市で使われなかった廃校や園舎をお借りして設置された大熊町立の幼稚園・学校に通うことになりました。

ただ、避難が長期化し、生活の基盤が避難先で整うにつれ、避難先の市町村の学校へ転校する子どもが増えていきました。避難先になじんでいくこと、大熊の学校に通い続けること、それぞれの家庭がその時々に必要な選択をしてきたのだと思います。

結果として、大熊町立学校では急激な少子化への対応を迫られてきました。運動会を幼小中合同にしたり、中学生が小学校に赴いて学習発表をしたり。学校や学年で線引きしない「ゆめの森」が目指す教育は、先生方が現場で悩みながら、子どもたちとその良さを見出してきたといえるかもしれません。

少人数だからこそ「みんなで」できることを見つけていく一方、教室では「個別最適化」、一律の授業ではなく個々の子どもの理解や関心を汲んだ学びが進みました。IT機器の導入も人数が少なければ比較的スムーズです。学校では、すでに8年ほど前から児童生徒に1人1台タブレット型PC端末が配布され、2020年度からはAI教材も導入しています。

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大熊だからできる、大熊だから必要な教育を

2021年12月現在の在校生は、幼稚園児4人、小学生6人、中学生2人です。小・中学校では、下の写真のとおり、算数(数学)の授業は児童生徒みんなで行うなど一緒に学びを深める独自の取り組みを始めています。そして、来年度には小・中学校を1つの義務教育学校として再編する予定です。

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大熊町にとって学校が果たす大事な役割として、地域とのかかわりがあります。前述のとおり、大熊町は人がだれも住んでいない時期が8年以上ありました。町は再建の途上です。

そんな中、町で子どもの声を聞くとすごくうれしくなるのです。役場で働きながら、子どもの泣き声や元気な足音を聞くと「どこの窓口かな」ときょろきょろしてしまいます。職員がそわそわする雰囲気を感じます。こんなにも子どもの存在が希望となる町がほかにあるかしら、と思うほどです。

「町の復興を支える子どもたち」などというつもりはなく、いてくれるだけでうれしい。こんな町だからこそ、学校は地域コミュニティの中心になりえるし、子どもたちには気負うことなく、色んな人に出会って触れ合って、もし興味があればまちづくりにも関わってほしいと思います。

少人数教育に直面した大熊町だから、ゼロからのまちづくりを進める大熊町だからできる学びを、ひとつずつ実現していきたいと考えています。これから、現在の学校の様子や新校舎の整備状況などをお知らせしていきますので、ぜひのぞいてみてくださいね。