【日々の記録】里山の向こうに霞むもの
皆さん、こんにちは。
さて、本日は新しきゆめの森メンバーで、大熊大川原探索に赴きました。
言わずもがな、我ら「ゆめの森号」は大熊、会津、その他多くの思いをのせ、進んでいます。
国語算数と同等に(いやもしかしたらそれ以上に)まずは自分たちの森を育む郷土に目を向け深く知ることが肝要かもしれません。
児童たちのワクワクをみっしり詰めて、バスがゆめの森を出発します。
出発直前、探検隊隊長役のデザイナーから司令が飛びます。
「今日、私たちが会うのは松永のオヤジと、あまの川農園のエミリーさんです。」
「え?松永のオヤジ?」
「なんか、上下赤い服着てるらしいよ。」
隊員たちにどよめきが起こります。
「松永のオヤジ、それからエミリーさんと友達になること。これが最初のミッションです!」と隊長が号令すれば
「イエッサー!」
これまた威勢のいい返事。
大熊を観察するだけでなく、しっかりと地域とつながること。
これが隊員に課されたミッションのようです。
さて、どうなったでしょう?
しばし車内で揺られ、まず到着したのは山の麓の松永邸です。
興奮気味の探検隊。オヤジの姿の見えぬうちから門前で大きな声を張り上げます。
「こんにちはー!オヤジさん、いますかー!」
表の喧騒を聞きつけて、隣のビニールハウスから松永夫婦が顔をだします。
「あ、いたー!」と児童たち。
「お、来たんか。」とご夫婦。
幾分間の抜けた初対面ですが、松永夫妻はいつもの柔和な笑顔で私たちを出迎えてくれます。
ご挨拶を終え、いざ正対するとモジモジし始める児童たち。
そんな空気を一人の児童が破ります。
「あのー、初めまして。僕の名前は〇〇と言います。漢字で◻︎◻︎と書いて〇〇です。よろしくお願いします!」
大人びた自己紹介に一気に場が和み、我も我もと自己紹介が始まります。
よし!最初のミッションはクリアできたようです。
「ハウスん中見てみっか?」
オヤジの後に続き、一同ビニールハウス探検です。
「あ、これキュウリじゃない?」
入り口近くの小さな苗を目ざとく児童が見つけ発言します。
「じゃあ、これは何かわかっか?」
ハウス奥に小さく育つ作物を指し、松永の親父が問いかけます。
児童と一緒に私も考えます。
ニラに似てるな・・・。でも、ニラじゃないし、水仙!・・でも、水仙は食べられないしな・・・。
一人の児童が発言します。
「わかった。ねぎだ。芽ねぎってやつ!」
「ん?緑のところを見てごらん。ネギの葉っぱは丸いんだよ。それはどうだ?」
腕組みして松永のオヤジが再び問います。
「う、丸くない。平べったい。」
「うん。それはな、葉にんにくだ。」
確かに顔を寄せればそこはかとなく香るニンニクのにおい。
「おー、ニンニク。」声を出して探検隊一同納得です。
「これな、晩酌のお供にいいんだよ。」
と松永のオヤジが顔を綻ばせれば、すかさず
「食べたーい!」と児童たち。
「まだ早いんじゃねえか。」とオヤジが返すと、空気を読んで奥様が隣に誘導します。
「こっちはね、スナップエンドウ。ちょっと採ってみる?」
ご厚意に甘えて急遽収穫体験です。
近日5年生が行う調理実習「茹でて食べよう」の食材が思いがけない形で手に入りました。
スナップエンドウを握り締め、探検隊は満足顔です。
突如、近くで鶏の鳴き声が響きます。
ハウスの次は鶏です。
松永邸の裏の畑では鶏が放し飼いされています。
「静」の野菜より、「動」の鶏の方がやはり児童たちには人気です。
広い敷地を走り回る鶏の群れの中に恐る恐る探検隊が足を踏み入れます。
慣れない児童たち、まさにそろりそろりといった感じですが表情は輝いています。
そこへ突如松永のオヤジが菜葉の切れ端を埒外からどさりと投げ込みます。
そこにざざっとと一気に鶏が群がり啄みます。
「きゃー!」「うわー!」
児童たちの声が青い空に消えていき、のんびりとした午後が過ぎていきます。
鶏、菜の花、ぜんまいに蕗のとう。
つくしにつつじ、池に蠢くオタマジャクシ。
終わりかけた里山の桜に、エミリーの青い瞳。
ここに書いたいことは尽きないけれど、どうやら紙面がつきそうです。
彼らの瞳に何が映ったのか。
彼らの脳裏に灯された幻燈は今何を映しているのか・・。
それは人それぞれ。その人しか分からぬことです。
一人一人の鮮烈な幻燈が、今後どのように編集されどんな物語を紡いでいくのか。
彩度明度はどうであれ、私たちはその物語の行方を見守る所存です。
蛇足です。
「愛国」
教育の現場でこの言葉を安易に口にすれば、要らぬ百家争鳴を引き起こす厄介な言葉であると個人的に理解しております。
それを承知で書き進めれば「愛国」の何が問題なのか、純朴に疑問に思うこともあります。
私たちが根ざす郷里の自然を愛で、地域の方々と結びつき、自らを育む文化風土を愛すことのどこに問題があるのだろうと。
確かに仮想敵を作り上げ、徒らに不安を煽り喧伝し、団結心求心力を得ようとする「愛国」には感心しません。
しかし、郷里を深く知り、自らを包みこむ「小さな幸せのかたち」を体感し、この幸せの形を次世代まで繋げていきたいと乞い願うことに問題はないでしょう。
ナショナリズムとパトリオティズム。
どちらも「愛国主義」と訳せますが、その意味するところは全く違います。
これ以上能書を続けはしませんが、郷土愛の延長に愛国があり、愛国の延長に世界愛があるのではないか、そう思います。
私たちの未来を紡ぐためには、まず確かな郷土愛が足掛かりになる・・・。
硬い表現ですが、大熊の里山の風景の向こうに「愛国」の二字がかすみました。