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【取材#09】ゆめの森に、魂を吹き込む(佐藤 由弘)

佐藤 由弘 (さとう よしひろ)
1962年福島県生まれ。福島大学大学院修了後、小学校教員としていわき市で3年、中学校の英語の教員として7年、その後特別支援学校の教員を務める。現場の教員を経験後、主に教育行政に携わり、福島県教育庁相双教育事務所長を経て2021年より大熊町立小中学校長。2022年に大熊町立「学び舎 ゆめの森」初代校長に就任、2023年3月に「学び舎 ゆめの森」の校長を最後に退職。2023年4月より大熊町教育委員会教育長に就任。

ーこれまで、ゆめの森のデザイナーや、ゆめの森に関わる方々へ取材を続けてきましたが、お話を聴くたびに「未来に残すべき教育」に対する考えが深まっていく気がします。

大熊町は、13年前の震災と原発事故によって、町から一気に人がいなくなるという現実を突きつけられたところから、「学校って何だろう」という問いを本気になって考えさせられた地域です。
震災直後に全町避難となり、当時の渡辺町長や武内教育長が独自に動いて、たった1ヶ月後の4月16日にはすでに学校を再開した。まだ県立の学校ですらどうするか見通しが立たなかった時に、大熊町はとても早かったんです。
私が大熊町に来る前から、当時の先輩方が考えて、避難先の会津若松市でも考え続け、脈々と12年間バトンをつないできた。「学校って何だろう」と問い続けて生まれた「学び舎 ゆめの森」は、いまでは約1500名の方々の視察にはじまり、「人を育てるって、どうあるべきなのか」という思いをもつ保護者の方や教育に思い入れのある方々が集まって、考えを深めたり、意見を交わしたりする場になりつつあって。そういう皆さんとつながれることに、私自身もワクワクしています。

ー大熊町が、震災前から教育に力を入れていて、それが受け継がれてきたことがわかるエピソードですね。教育行政に関われた期間も長い佐藤教育長ですが、教員時代はどのように過ごしてこられましたか。

特別支援教育で障がいのある子どもたちと出会ったのは、私にとって人生観を変える大きな転機で、「先生にしてもらったな」っていう思いです。

福島県で教員として採用されて、最初は小学校の教員を3年間、その後中学校の英語の教員として7年。その頃は若いですからね。荒れていた中学校で、オラー!って怒鳴ると600人の生徒はピッっとして私の思い通りに動くもんだから「自分は力のある教員なのかな」なんて、勘違いしていたんですよね。
そこから、特別支援学校で障がいのある子どもを担当することになって、ある小学1年生の男の子は、おしっこができない。私はおしっこの仕方ひとつ教えてあげられなかった。教員なのに教えてあげられない、そのことに直面した時は、ショックでしたね。

他にも、摂食障害で温かいカレーしか食べられないという子の担当になったときのこと。その子は学校に来ても給食が食べられないし、水道の水すら飲めないんです。

ある夏の暑い日に散歩から帰ってきて、みんなで水道の水を飲んだんですが、その子は「飲んでごらん」と言っても飲まない。その日は給食で冷たい牛乳が出て、教員も子どもたちも「ああおいしいよね」って飲んでいたんです。どうするとこの子飲むのかなと思っていたら、ピクって動いた感覚があった。本当に動いたかわからないけど、もしかしたら牛乳飲みたいのかな、でも「さあ飲んでごらん」って持っていってもダメかなと思い、ちょっと牛乳を近づけてあげた。そしたらまた反応した気がして、もうちょっと寄せてあげたら、あるタイミングでグッと牛乳をつかんでゴクゴクゴクゴクって全部飲んだんです。鳥肌が立つくらい感動しましてね。

おしっこの仕方も、水の飲み方も教えてあげられない、何も教えられないっていう自分がそこにいて、「教員って、何かを教えるっていうことじゃないんだな」っていうことを突きつけられた。何というか、この仕事をやっているありがたさが私の中にはストーンと落ちてきた

その時にはじめて、障がいのある子だって何だって、ちゃんと自分の考えや思いがあるんだ、と教えられて。教員としてやるべき仕事は、じっくりとその子に寄り添って、タイミングよく何かを働きかけてあげることなんだと、大きく人生観が変わった瞬間でしたね。

―教員として、考え方が変わった原体験なんですね。

子どもたちから教えてもらったものは、その時は自分の中ではわからなくて、咀嚼して時間が経ってから「こういうことなんだ」ってわかることも多いんです。気づかせてもらった頃には子どもたちは卒業してしまい、考え方を変えさせてくたれり、先生にしてもらえたのに恩返しができない。なので、いただいたものをその次の世代の子どもたちに返していく、『恩おくり』と呼んでいるんですが、教員の仕事とはそういうことだ、と思うようになりました。

―ゆめの森の新校舎が完成する前、校舎の模型を見たときに「これは突き抜けた学校だな〜!」と思うと同時に、この建物を使いこなすソフト面、教育の中身が重要なのでは、と感じていました。2022年に校長になられるとき、ゆめの森の開校準備段階で、どのようなことを考えてこられましたか。

私が校長になる時には、前の武内教育長、木村教育長、校長、指導主事、教育委員会など皆さんの脈々とした想いを元に、ゆめの森の設計図やコンセプトは最終形までできていた。それを受けて、「普通の学校と全く違うわけだから、これまでの教育の延長線上でやってもダメだろうな」と思ったんです。

子どもを中心にした学校、子ども一人ひとりを大事にする学校、というのをこの施設が実現しようとしてるんだったら、まずはデザイナー(先生)たちが変わらなくちゃいけないということを考えて、デザイナーたちとみっちりと関わること。校長としての仕事はそこだろうなと考えていました。

だけど変えようと思ったって、私が特別支援学校で経験したような強烈な気づきや体験がないと、人の感覚って大きく変わらないじゃないですか。でもゆめの森の開校まで時間がない。だからちょっと荒っぽかったんですけども、先生たちには新しい経験をしていただいて、ショックを受けていただきました。

―「新しい経験によるショック」とは、どのようなものでしょう。

校長として赴任するとき、「4月1日に赴任するけど、職員室の場所も下駄箱も、デザイナーの担任も、何も決めないで」とお願いしたんです。当然、デザイナーたちは困るじゃないですか。何も決まってないって、しんどいですよね(笑)どうしても従来の学校って、「想定内で早く決めるのが良いことだ」という感覚がありますから。

最初は、経験年数を積んでいるデザイナーから「何も決まってないなんて、どうするんですか」っていう声も当然ありました。それに対しては「どうするんですか、ではなくて、みんなで考えませんか」と。「誰かが考えてくれるのを待つのではなくて、自分たちで対話して創っていきませんか」と伝えたかった。

デザイナーが「ゆめの森」で実現したい未来を対話したときのホワイトボード

「子どもを中心にした学校ってどうやって作るの?」と考えると、子どもの話をしっかり聞かなくちゃいけないし、時間でカッチリ管理しちゃダメだし、子どもをどこかに押し込んじゃダメだし。すべてが今までと違うわけですから、考えなくては創れない。子どもの一番近くにいるデザイナーが、子どもにとって何が本当に大事なのかを考え、自ら判断し、今できるギリギリのところで選択肢を見つけていく作業。それができたら、子どもはリアルで生きられるんじゃないか、「わたし」がしっかり持てる子が育つのでは、と。それがゆめの森なんじゃないか、と思っていました。

私も教育事務所で長くやってきたから、ある意味ガチガチの管理をすることもできますよ。だけど、大熊町がこっち側に舵を切ろうと思ったんだから、私自身ももうこれまでの教育システムのことは一切抜きにして、自分の中でどこまで振り切れるかに徹しようと思って、覚悟してここに来ました。
変革には多少の痛みは伴います。ヘンな校長が来た、と思われていたと思うし、実際にデザイナーとぶつかったこともありましたが、その時に私の背中を押してくれたのが、今まで気づかせてくれた、あの子どもたちだったな、と思います。

―ゆめの森のデザイナーたちは、一人ひとりを大切にする教育に向けて、どのように取り組んでいますか。

子どもたちが安心できる場所をつくっているっていうことかな。先生であるデザイナーたちは、子どもたちが「何を言っても、まずは受け入れてもらえる」という安心をつくれていると思うし、デザイナー同士もそう。それは、デザイナーたちにある程度の余裕があるということだと思います。
昔の私、特に特別支援学校時代の私は、周囲の先生方の目を気にして「自分は力のない先生と思われているかな」とばかり考えていた。それでは安心感はつくれませんよね。「子どもたちをちゃんとさせないとダメ」「言うことを聞かせないとダメ」というのが根底にあると、教員自身が楽になれないから、余裕がなくなってしまう。

ゆめの森のデザイナーたちは、子ども一人ひとりのことを受け止めて、「本当にこの子にとって何がいいんだろう」と考えて、デザイナー同士で対話しているし、周りの力を借りて行動にも移しているから、自然と自信がついてきている。だからデザイナー自身が安心しているし、子どもが安心できる場所という意味では、環境としては最高かなという風に見ているんです。

子ども中心の教育を考える「ゆめの森」のデザイナー(先生)のみなさん

ゆめの森では、「時間割は子どもたちのためのもの」という考えから、時間割を子どもたちが考えたり、デザイナーが算数を1時間教えるところを3時間に伸ばしたり、時間をゆったり使っていますが、それは法律違反しているわけではないんです。「子どもたちのやっていることや時間の使い方を、学習指導要領に沿ってデザイナーが説明できればいいんだよ」という考えで、そう伝えてきました。
例えば、先日ニワトリを育てるために子どもたちが授業の中でニワトリ小屋を作りましたが、ゆめの森のデザイナーたちは、この時間の使い方をちゃんと学習指導要領のどこをやったのか、説明できます。にわとり小屋の設計図を書くならば「技術」でしょうし、立体図の書き方がわかれば三点透視図法と「図工」にもつながる。どうやって直角にしますかっていうのは「算数」にもなるし、ニワトリ小屋の製作過程を説明文にするなら「国語」の実践にもなる。教科書に書いてあることにつなげて、実際に使える力、生きた知識を身につける
ゆめの森のデザイナーたちは「そうやってつなげて考えればいいんだ」とわかっているから、心の中のゆとりが出てくるんだと思います。
ここでは時間をゆったり使いたいんです。『ゆめの森時間』で流したい。大人の都合だったり、「急いで」とか「早くしなさい」というんではなく、子どもたちもデザイナーもゆっくりゆったりと物事を考えたり、じっくり対話したりという時間を創りましょう、とデザイナーの皆さんには繰り返し伝えてきました。

考えるゆとりがないと、教科書をそのまま教えていた方が楽です。でも教科書を教えていると、子どもはつまらないわけです(笑)
教科書を教えるのは、タブレットがやってくれる時代ですよね。スタディサプリのテレビのスイッチを押すのが先生の仕事じゃないだろうっていうところを、このゆめの森ではデザイナーと一緒に考えたいんです。

ー最後に「学び舎 ゆめの森」、そして大熊町の今後の展望や目指していきたい未来を教えてください。

ここにいる子どもたちもデザイナーたちも、地域の方々も、関わってくださる方たちも、一人ひとりかけがえのないもので、皆が混ざり合うことで、ゆめの森にしかない学びが創られています。
大熊町でこれからの新しい町づくりに向けて、皆で対話して「人が成長していくこと、本当に大事なことって、こういうことなんだ」と確認できる。こんな素晴らしいことはないですよね。一緒に考えたことが知恵となって我々の脳の中にインプットされ、大熊町で一つの新しい脳ができるような感覚。その知恵からまた新しいものを生み出していける。

佐藤教育長が「ゆめの森の原点のイメージ」と紹介してくれた「大熊町の9羽の鳥たち」の絵画
(画家:蟹江杏さんと学び舎ゆめの森子どもたち 制作)

大熊町が目指す教育のビジョンは、「わたしを大事にし、あなたを大事にし、みんなで未来を紡ぎ出す」です。「わたし」というのは一人ではできなくて、「あなた」と居てはじめて私が見えてきて、そしてみんなで未来が紡ぎ出せる。皆の気持ちを一つにして、皆の心を束ねて、新たなやる気を皆の心に火をつけるような、そんな人が大熊町の「学び舎 ゆめの森」から育ってほしいと思っています。
20年先、30年先の未来の有るべき世の中の姿をしっかりと見据えて、これからも人づくりに取り組んでいきたいと考えています。


(取材後記)佐藤教育長のバックボーンとなる原体験のお話から始まり、「子どもを中心にした学校、子ども一人ひとりを大事にする学校」に向けて「新しい学びのあるべき姿」を模索し、試行錯誤の中で創り出していく過程を語ってくださいました。教育行政、子ども、デザイナー、地域など、あらゆる垣根を超えた「対話」を通じて、これからも未来の教育のひとつの形が創り続けられていくのだろうと感じました。