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【日々の記録】if・もしも・・。

皆さん、こんにちは。
連休の谷間ともいえる今週ですが、だれること無くピリッとパリッと「ゆめの森全力疾走」です。
さて、本日を振り返ってみましょう。

if・もしも。
この言葉を文頭に置いた途端、心は現実の敷居を乗り越えて夢幻の中を漂っていきます。
「もしも、私が王様だったら・・。」
「もしも、ドラえもんと友達になれたなら・・。」
子供の頃、姉と二人で「もしも宝くじが当たったら・・。」ということを熱心に話し合い、最終的にその使い道の齟齬が原因で取っ組み合いの喧嘩に発展したことがあります。まさに「取らぬ狸の・・」愚かな思い出です。

「もしも」の後に欲望の赴くまま妄想逞しくするのも楽しい時間の使い方ですが、ひとたび「もしも」の後に暗いイメージが続けば、不安、恐怖が増幅し落ち着いていられません。
「もしも、重い病気に罹ったら・・。」
「もしも、巨大地震が起こったら・・。」
古代中国の杞の人が「もしも天が崩れ落ちてきたら・・。」と思い悩み、それが「杞憂」の語源となった・・。有名な故事ですが、果たして私たちはそれを浅はかと笑う事ができるのでしょうか。
現代においても、もしもから始まる悲劇を必要以上に恐れるあまり、また「もしもなんてない」と現実を軽視することで時間を無為にしている事がないとは言い切れません。
ここは徒らな「負のもしも」の連鎖に終止符を打ち、正しく「恐れる」ことを知らなければなりません。
「もしも巨大地震が起こったら」
「もしも火事になったら」
これらを正しく恐れることは決して「杞憂」ではないのです。

無事避難終了。
危機感を持てたのかな?

相変わらず回りくどくなりました。
さて、なぜこんな事を書きつけたかと言いますと・・。
本日3時間目、ゆめの森避難訓練が行われました。
「避難訓練」ですから、児童生徒には事前には知らせていません。さあ、無事に逃げおおせる事ができたでしょうか。

3時間目途中、突如緊急放送が流れます。
「大きな地震が発生しました。揺れが収まるまで机の下に隠れてください!」
すわや大丈夫か?・・あれ、意外にも大きな騒ぎは起こりません。皆冷静に待機しています。
「ウィーン ウィーン!火事です火事です!」
続けて火災警報がけたたましく鳴り出します。どうやら先の地震で理科室から出火したという設定のようです。
ふざけて騒ぐ児童もなく落ち着いて避難が始まっています。
「どうせ訓練だろ・・。」
穿ってみればそう冷めているようにも見えますが、ここは性善説に則って「冷静に落ち着いて」と表現しておきましょう。
つつがなくゆめの森全員が校庭に避難し終えます。
「はい。避難訓練お疲れ様でした。タイムは2分42秒。」
これが早いのか遅いのか私も判断つきません。児童生徒も同じようで、普段のような喧騒は起こりません。私見ですが、なんだかどこかに「やらされ感」「付き合っている感」が漂っているようです。「杞憂」とも違いますが、「正しく恐れる」とも違います。
「ほんとに火事になったら、ちゃんとやるし・・。」
彼らの心の声が聞こえるようです。
「練習でできないことは、本番でできるはずがありません!」
南郷GMが話し出します。
「皆さん。自分で自分の命を守ってください。これは本当に大切な話です。」
児童たちの空気を感じてか、南郷GMの語気がいつもより強く感じます。
「東日本大震災の際、子どもより大人のほうが多く犠牲になりました。どうしてか?・・・多くの方が子どもの安全を確認するために家に戻ったんです。そこで犠牲になってしまった・・。多くの大人は子どもの安全を確認しなければ、自身の身を守る行動に移せないんです。・・・もし、みんなが自分自身で命を守れると自信を持っていえるなら、大人の犠牲はもっと少なくなるかもしれません。
もしも万が一の時、自分の命は自分で守れると自信を持って言えるように、その方法などお家の人と是非話し合ってください。」
6年生女子が静かにそして大きく頷きます。
どうやら南郷GMの真摯な言葉は、きちんと児童生徒に届いたようです。

いつも以上に力がこもる。
南郷GMの講評。

その後、富岡消防署の消防隊員の皆さんから避難の掟「おかしもち」を伝授されます。消防隊員さんの分かりやすいお話に皆納得顔でお話しを聞きます。中には
「知ってるー!聞いたことある!」の声も上がります。
嬉しい反応ですが、知っていることと実行することは同じではありません。知っているから話半分でいいのではなく「もしも」を何度も何度もイメージし、咄嗟にでも体が反応できるくらいに落とし込む必要があります。並大抵のことではありません。「冷めている」暇などないのです。

最後にデザイナーが消火器を扱って、実際に火を消す演習を行いました。
目の前で燃え盛る炎を目にし、遠くから炎の熱を肌に感じ、ようやく児童生徒が「もしも」を自分ごととして捉える事ができたようです。

押さない・駆けない・しゃべらない・戻らない・近寄らない。
頭の文字をとって「おかしもち」。
消火器はどこにあるのか。どうやって使うのか。
これがわからなけりゃ、意味がない!

地震大国日本。
この国で生きる私たちにとって、地震は避けることはできません。危機管理は決して他人事では済まされないのです。
また、日本の周辺状況を見渡せば、未来永劫安穏であるとも断言できないでしょう。
「もしも・・・。」
杞の国の人のように憂える必要はありませんが、あらゆる事態を想定し、「正しく」恐れ、もしもの際に自身の命を守れるよう準備し、皆と話し合うこと。それが何より肝要です。
「想定外だった」では、唯一無二の幸せを守ることはできないのです。
「もしも巨大地震が起こったら・・。」
「もしもゆめの森が火事になったら・・。」
これらを考えることは、決して不謹慎でもなんでもありません。


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