大熊町教育長×設計者インタビュー「大熊町立学び舎ゆめの森について聞いてみました!」
↓9/29にオンラインでインタビューを行った際の様子*
インタビュー概要/インタビュアー紹介
◎語り手:木村政文(大熊町教育委員会 教育長)※画面上段右
福島大教育学部卒。南相馬市立福浦小学校長、福島県相双教育事務所長、桑折町立醸芳小学校長を経て、2019年4月から現職。浪江町出身
◎語り手:飯田善彦(飯田善彦・鈴木弘人大熊町教育施設設計業務共同企業体 代表)※画面上段左
埼玉県浦和市生まれ。1973年横浜国立大学工学部建築学科卒業後、1986年飯田善彦建築工房設立。現在、飯田善彦建築工房代表取締役、Archiship Library
Library&café主宰。
〇聞き手:喜浦遊(大熊町教育総務課)※画面下段
〇聞き手:塚本安優実(飯田善彦建築工房)※画面上段中
「学び舎 ゆめの森」はどんな学校になりますか?
木村 まず、大熊町の教育の現状をお話します。町の幼稚園、小学校、中学校は原発事故後の避難先となった会津若松市で教育を継続しています。このうち小学校と中学校は令和4年度に、9年間の「義務教育学校(※1)」として生まれかわります。令和5年度には大熊町に新しく建設する校舎に移転。さらに、保育園と幼稚園が一緒になった「認定こども園(※2)」を同じ校舎で開設し、0歳から15歳まで切れ目のない教育を実現するのが「学び舎 ゆめの森」です。
「混在と多様性」/「アナログとデジタル」
木村 これからの子どもたちには、自分で新たなものをつくっていく創造力が必要です。そのキーとなるコンセプトが「混在と多様性」。赤ちゃんと中学3年生(義務教育学校では9年生)が、同じ空間にいるのはまさに多様、混在です。新校舎は地域の方々にもできるだけ開放して、0歳から100歳までの学び舎になればと思っています。
「アナログとデジタル」はもう一つのコンセプトです。学校ではすでに、デジタル教材を導入しています。うまくデジタルを使い、学習や指導の質の向上や効率化をはかりつつ、対面でのやりとりや実体験を重視しています。
特別支援学級の児童生徒が同じ教室で学んだり、芸術家と一緒にものづく
りをして豊かな発想力に触れたり。いろんな子や大人と一緒にいると、自然と個性に気づき、違いを認めた上で「どうやったら一緒にやれるだろう」「自分だったらどうするだろう」と考えます。それが創造力の基礎になると考えます。
~幼保ゾーン外観イメージ~
学びを自分でデザインする
飯田 学校をつくる場合、通常はまず教室が配置されます。正面に黒板があり、先生が子どもたちと相対して、知識を与える場としての教室です。さらに「廊下は走るから狭く」など、動きを規制するような注文がつくことが多い。でも、今回は「自由に混じりあう空間を」と言われました。標準とは違う教育プログラムをどう建築で表現できるかと、気が引き締まりました。
震災の影響を大きく受けた町で安全は必須。地震で命を落とさない建物に
することが第一で、その上でいかに自由な空間をつくるかを考えました。中央には、開放的な図書ひろばを配置しています。広場から放射状に、理科の場所、音を出す場所などの空間を点在させました。教室もありますが、壁は可動式。私物を置く場所は別につくり、個々の机は置かない方針なので、学び方によって部屋の形を変えられます。図書ひろばと一体化した教室にしてもいいし、移動式の黒板やタブレットがあれば、どこでだって学べてしまう。図書ひろばの壁は棚になっていて、本はもちろん、子どもたちの作品を並べてもいい。「ここでこんなことができる!」と子どもたちに発見してほしいです。
木村 校舎のデザインを見た教員が「校舎を生かす教育とは何か」と、もがき始めています。建物が子どもや教員を育ててくれる側面があると実感しています。
~小学校ゾーン内観イメージ~
地域の中心として0~100歳が学ぶ場所
飯田 建築は、何もないところに物を生み出す仕事です。場が必要なだけならば四角いハコで十分。でも私は、建築とは施設を利用する人たちの「こうなりたい」「こういう風に使いたい」という「未来の姿」を形づくる仕事だと思っています。
今回、子どもたちにとって多様性に満ちた居場所であるよう設計した一方、大熊町ではコミュニティの再生が大きな課題であり、地域にとって学校が一つの拠点になることを願っています。「町のあるべき姿」を大仰に考えたわけではありませんが、四角い建物ではなく、一見よくわからない外観になっています。階層が上がるほど狭くなるので、ケーキのように見えるかもしれません。夜、光が灯ってもきれいだと思います。高速道路から町を見た時、「あれ?」と興味を引くような、町の人も町外の人もちょっと行ってみたくなるような学校になればいいと思います。
~図書ひろば内観イメージ~
学び舎 ゆめの森はまちづくりの一歩目
木村 日本では、学校、特に小学校区が地域の中心になってきました。学校がなくなることで過疎化が進んだり、さびれたりする。学校がないということは、地域にとって、町にとって、大熊で生活する人にとって、よりどころが一つ欠けているようなものではなかったかと思います。
学校とは人づくりの現場です。よく「人づくりはまちづくり」と言いますが、学校が復興のシンボルになれば、それは人を中心にしたまちづくりが具現化することにつながります。町の皆さんが帰還する際、町外から移住定住する際の選択肢の一つになりたいと思いますし、子どもたちにとってはまちづくりの一歩目に自分たちが関わるチャンスです。少人数であること、復興のさなかに帰還することをハンデではなくメリットと捉え、大熊だからこそできる学びを体現していきます。