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【日々の記録】「楽しむ」のか「楽する」のか?
皆さん、こんにちは。
今日の帰りの会がはじまる前、児童と交わした会話の一部を紹介します。
「今日も6時間目まで勉強で、疲れたでしょう?」と私。
「うん。でも、毎日6時間目まであってもいいかなぁ。」と児童。
思わず、「え?どうして?」と尋ねれば、
「だって、楽しんだもん!」
だって、楽しんだもん・・。
私の中にジンジンするような感情が駆け巡っていきます。
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下に横たわるのは「人狼ゲーム」の犠牲者。
始まりの式から一週間以上経ちました。
各授業を覗いても、休み時間の様子も確かに概ね楽しそうです。
まずは「楽しい」が一番。
この一週間を振り返り、一つ大きなマルをつけたい気持ちです。
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先輩に地域のことを教えてもらう。
さて、ここで「めでたしめでたし」ではありません。
大きなマルはつけたけど、まだまだ及第点には及びません。
ここからは、このnote読者諸氏と共に考えましょう。
「楽しい」の「楽」という感じには、「たのしい」という訓読みと、「ラク」という音読みもあります。
同じ漢字を使った二つの言葉、「楽しむ」と「楽をする」。これらは同義なのでしょうか?同義でないのなら、何が違うのでしょうか?
ここに私の具体的な回答は記述しません。しかし、私見結論を述べれば、同じ漢字を使ったこの二つの言葉の意味するところは全く違うものです。
・・・昨年度から学び舎ゆめの森で過ごしている私の心を時に乱すのは、児童生徒がしばしばこの二つの言葉を混同しているように見える瞬間です。
「嫌なこと」「苦手なこと」はやらなくても良い。
つまり、「楽ができる」から学校は「楽しい」のだと・・・。
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私たちは、きちんと違いがわかってるもん!
かねてから繰り返してきたことですが、ゆめの森が目指すものは「放埒放恣」では決してなく、「自主自律」です。
「好きを見つけ、好きを探究し追究する」とは、「好きなことだけやる」ことを意味しません。俗な言い方ですが、自身の好き、興味を飯の種になるくらいに極め、この社会を逞しく生き抜く力を涵養することこそ、我々の使命だと考えます。
社会を自ら開拓し、生き抜いていくことは生やさしいことではありません。
時に歯を食いしばり、涙をのむこともあるでしょう。
「嫌だからしない。」「苦手だからしない。」
ただそれだけでは自らの手の内にある可能性を日々一つ一つ消していくようなものです。「学校」という場所がそのような場所で良いはずがありません。
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そんなあなたが私は大好き!
また、私は暫し呻吟します。
「子どもの自主性を尊重する」とは何だろう。
子どもの「嫌だ」「嫌い」「やりたくない」全てを尊重すべきなのだろうか・・。
無論私たちの仕事は、「嫌だ」を一旦受け止め、傾聴し、「いや」から「やってみたい」と思えるように準備し、仕掛けすること、つまり学びのデザインです。
ですが、1時限は45分。時間は有限です。
言い訳のようで情けないのですが、噴出するすべての「嫌だ」を傾聴する時間はありません。とはいえ、「つべこべ言わずやれ!」と命令し強制することが、あまり長期的に意味のないことだとも理解しています。
さてどうしたもんか・・。なかなか呻吟が止まりません。
今日の帰りの会に戻ります。
「先生のお話」の時間に一人のデザイナーが口火を切りました。
「みんな。大切な話があります。ちょっと顔を上げてくれるかな。」
デザイナーから立ち昇る真剣なオーラに本の広場が静まります。
「みんな、メリハリがなさすぎる!
さっきの時間他の先生の話聞いてた?
自分の話したいことばっかり話して、他の人の話は聞かない。そうでしょ?
もしかしたら『聞きたい』と思っていた友達もいるかもしれなかったよね。
自分の『楽しい』だけをいつも優先して、他の人の『楽しい』を邪魔すること。
それは、いいことなの?私は、そう思わない。
私たちはさ、ゆめの森の仲間だよね。
もう少し仲間に対する思いやりがあっても良いんじゃない?
今、していいことと、よくないことときちんと分けて考えようよ。」
一同真剣な面持ちで話を聞いています。デザイナーが続けます。
「もし、私の意見が間違ってるとか、言い方が強すぎるとかみんなの意見があったら、話し合いましょう。後で意見を教えてください。」
多少バツの悪い表情を浮かべた司会の号令で「さよなら」し、帰りの会は終了しました。
はたと思います。
「子どもの自主性を尊重する」。笑止。そんな御大層な問題ではないのです。
「やる時はやる」。「ダメなものはダメ」。
この基本的なことを素直に率直に子どもにぶつけること。
ただそれだけなのです。
いかにも物分かりがいいような「教師の仮面」をつけ、子どものご機嫌をとることが、私たちの仕事ではないのです。
時に嫌われる勇気を持ち、真摯に素直に子どもとぶつかれば、子どもは必ず理解してくれます。
胸襟を開き、仮面をとり、子供も大人もなく互いに一人間として対峙すること。
大人も子供もお互いの自主性を尊重すること。
それこそが、私を、そしてあなたを大事にすることになるのだ・・。
「にこやかな表情」は私の強みですが、時には「対峙すること」から逃避する卑怯さの表れとも言えはしまいか・・・。
今一人沈潜し、凛々しき女剣士のようなデザイナーの後ろ姿を思います。
正直、横っ面を叩かれた気分です。
しかし、決して不愉快ではありません。
勇気ある素敵で綺麗な一撃に、例の「呻吟」は飛ばされかき消されていきます。
うん。がんばろう。ひたむきに今思います。
今から、明日が待ち遠しくてたまりません。
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やる時はやるんだから!