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【日々の記録】 Yesか、Noか。

皆さん、こんにちは。
かつてTBS放送で長年親しまれてきた「まんが日本昔ばなし」。アラフォー以上なら「あ、あれか。」と膝を打つ方も多いと思います。・・市原悦子と常田富士男の味のある声色。「坊やよい子だねんねしな♩」で始まるオープニング曲・・。土曜夜7時からという放映時間帯も相俟って、毎週楽しみにしていた記憶があります。
中でも一つ、なぜか鮮烈に印象に残っているお話があります。遠い記憶から手繰り寄せ、一つ皆さんにご紹介したいと思います。

昔々、ある家では嫁と姑の諍いが絶えませんでした。ある日、耐えかねた嫁は村のお寺に駆け込み和尚に泣きつきます。黙って嫁の話を聞いた和尚は言います。
「そうか。そんなに姑が憎いのか。それならいっそのこと・・。」
なんと和尚は姑の毒殺を嫁に持ちかけ、こっそり白い粉薬を手渡し、そして言います。
「これを毎晩ひと匙、姑の膳に盛るのじゃ。ただしこの毒はすぐには効かん。毒が効くまでしばらくの間、お前は姑に逆らってはいかん。ただ『はい』とだけ答えるのじゃ。そうせねば、毒の効果は消えてしまう。」
家に帰った嫁は、和尚の言いつけを守り、毎晩ひと匙粉薬を姑に飲ませます。
・・しばらくして。姑が町からきれいな反物を買ってきて嫁に言います。
「最近お前が本当に良くしてくれるでな、お礼に買ってきたのじゃ。わしは、お前のようないい嫁がいてくれるで幸せじゃ。ありがとう。」
その言葉を聞くや否や、嫁はわっと泣き出しお寺に駆けつけます。
「和尚さま、お願いじゃ。あの薬の効き目を止めてくだせ。わりゃなんてことをしてしまったんじゃ!」
泣きじゃくる嫁に和尚がにっこり言います。
「安心せい。あの粉薬はのう、ただの米粉じゃ。毒じゃありゃせん。」
それからというもの、嫁姑は末長く幸せに暮らしましたとさ。

「まんが日本昔ばなし」より(タイトル失念)

私事ですが、当時私の家にも些細な嫁姑問題が勃発しており、そのせいで強く記憶に刷り込まれたのかもしれません。
ともあれ、このお話の教訓はなんでしょう・・・。
多少封建的で今の時流にはそぐわないかもしれないし、このお話に夫の存在感が全くないことに憤る向きもあるかもしれません。百家争鳴は横に置いとくとして、要は素直さの大切さを説いたものとして解釈できそうです。
さて、ここまでお付き合いいただき感謝します。以上は前置きでここからが本日の本題なのです。

おめでとう!ベン!賞状に群がるキッズたち。


大ニュース!我がゆめの森のALTベン先生がこの度、全日本AETアワードにおいて「Top motivational instructor」に選出されました。皆さん拍手をお願いいたします!
ん?いまいちピンときませんか?もう少し補足しますね。ALTとはAssistantLanguageTeacherの略です。日本人教師の助手として、生きた英語を子どもたちに伝える役割を持った、英語を母国語とする外国人の先生の事です。少し古いデータですが、文部科学省の2021年度調査によると全国で2万249名おり、小学校の英語必修化などを考えると今後もさらに増えるとされています。
まあ、簡単に言えば全国たくさんいる外国人先生の中で「最もやる気にあふれた先生」賞をベン先生がいただいたということです。東北地方でこの賞に選出されたのはベン一人とのこと。
ね?この受賞がいかに素晴らしいことかお分かりいただけたと思います。ベン先生、改めておめでとうございます!
この受賞の報にふれ、私は驚きというより納得の感が強いです。ベンは小中学の英語の授業はもちろんのこと、こども園でのレッスン、オリジナル教材作り、昼休みのサッカー、遊び相手、おしゃべり、校内清掃活動、力仕事、演劇では俳優とその活動の範囲は多岐にわたり、到底全ては書ききれません。
一見見た目はbeast(野獣)のようですが、本当に心優しきジェントルマンです。そんなベンは児童たちの人気者。朝の会でも帰りの会でもいつも誰かが戯れついています。

Help!Me!  こらおんぶしろ!ベン!

「ベーン!カモン!」「グッモーニング、ベン!」「サンキューベン!」ベンの周辺にはいつも笑顔と英語が溢れています。彼は、オーストラリア出身で、ポケモンが大好き。好きな食べ物は、バーガー、にピザ。趣味はゲームにアニメにアーチェリー。オーストラリアの実家では鶏、アヒルに猫に加え、馬まで飼っているとのこと。アーケードゲーム(UFOキャッチャー)も大好きで、月曜日には週末UFOキャッチャーでいくら使ったか、なにを手に入れたのかを話し合うことが私の日常となっています。欧米は契約社会と言われますが、ベンは授業以外の雑用までも嫌な顔一つせず引き受けてくれます。以前私はベンに聞きました。なぜそんなにやってくれるのか。するとベンは言いました。以下私の粗訳です。
「なぜって?だって君が助けを必要としているんだろ。それ以上に理由があるかい?それに僕は簡単にNoと言いたくないんだ。世の中には『それは私の管轄じゃない』とか『専門外だ』とか言ってすぐにNoと言う人がいるだろ?僕は違う。ここ日本で、必要とされるなら常にYesと言いたいんだ。」
私が「契約社会」を翻訳アプリや身振り手振りで説明すると、口をへの字にして肩をすくめて見せます。
「人は人さ。僕はどんな時でもYesを探すよ。」

「Yesを探す」・・異郷の地、しかも言語もままならない中、何事もまずは受け入れ挑戦する・・・。それがいかに勇気を必要とすることか想像に難くありません。
すぐに「嫌い」とか「苦手」とか言って世界を狭めてはいけない。私自身そんなことを口にもしますし、以前ここにも書いたと思います。とりあえずやってみることの重要性は、上滑りの言葉ではなく経験として体得しているつもりです。しかし、自分がベンと同じように文化も言葉も違う世界で、ベンと同じ姿勢で「Yesを探す」ことができるだろうか・・。正直自身がありません。

休み時間も掃除も一緒。

かつて「NOと言える日本」という本が売れました。精読はしていませんが、愛国心をくすぐる様な威勢の良い内容だったと思います。いや、この本以前より「Noと言えない日本人」「Noと言える欧米人」のようなある種のプロトタイプの国民性観が自分の中にはありました。なるほど外交という場面では情に竿せば負けなのだ。日本人よ、毅然とNOを突きつけよう。欧米人の様にはっきりNOと言える様になろう。
NOが言える=かっこいい!と。NOが言えない=カッコ悪い!と・・・。

Yes、No。無論どちらがいいかなんて議論は馬鹿げています。時と場合と能力において適宜使い分けるのがYesとNoです。それ以上でも以下でもありません。しかし胸に手を置けば未だに寛容なYesは、お人好しにつながる気がしてカッコ悪く感じてしまう感情が微かに残っています。ハイハイ色々引き受けてしまう自分自身はちょっとダサい・・・。そんな感覚の残滓・・・。
ベンの言葉が蘇ります。
「僕は『No』とは言いたくない。いつも『Yes』を探す。」
ここで冒頭の昔話と繋がります。Noの連鎖で起こった嫁姑の諍いを、Yesに変えて収めた和尚のトンチと、ベン先生のこの言葉。
・・・やっぱり「Yes」ってかっこいい。
ベンの受賞で頭のいろんな箱が開きました。