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【こども園】今日はどの道を行こうか…

昨日までの二日間「すてきな四にんぐみ」と過ごす機会を得ました。
幼児教育の世界に身をおく者、志す者、すてきな四にんぐみでした。
子どもたちに幸せな人生を歩んでほしい。
話を聞く度に、その目的は皆同じだと感じました。
子どもたちが初めて出会う学びの場として、
初めて出会う先生として、
その子の人生の一端にかかわることの幸せと責任を胸に、
この四にんぐみは、その大きな目的に向けてどのような道を歩むのだろう。

ところで、目的や目標、ねらいや意図ってどう違うのでしょう?
「目的」を山の頂とするなら、そこを目指してどんなルートで登るのか…
日々ポイントを定め
そのポイントまでのルート設定が「目標」なのでしょう…
であるならば、目標は変わることだってあるはずです…
いやいや、むしろ変わっていいものです!
天候によっても、その時の調子によっても、あえて通ることにしてみても…
ポイントまでのアタックに失敗したら、また戻って作戦を練り…
目標には「考える」という作業がくっついているのかと思うのです…
考えに考えを重ねて
子ども一人一人への「ねがい」がそれぞれの「ねらい」に変わり…
日々「保育にねらいを!幼児との関わりに意図を!」
現代の子どもたちを取り巻く環境の変化も考慮し…
「無意図的保育」をも「意図的」に与えていくのです!
そうやって頂を目指すのです…

ところが…
誰かが残したかつての道標をたどって登ろうとしてしまいがちである…
だって、確かにその道は山の頂につながっているのだから…
でも、それはその時の保育者が子どもの心に寄り添い
子どもの姿を見取り、あれこれしかけながら行きつ戻りつ登り詰めた
その子のためにデザインされたルートに他ならない…
すでにある道をたどるのは簡単である…
しっくりこなくたって言い訳だってできる…
ただ、これでは保育へのねらいや、幼児との関わりに意図は生まれない…
また、国道6号線を走っていれば間違いなく東京に着く
保育がそんなもんだとしたら…
私はちっとも「この道」に魅力をも感じない!
道なき道を子どもたちとともに切り拓くのが「保育の道」である
道はひとつではないのです。子どもの数だけあるべきものなのです!
だから辛く苦しく悩むのです…
だからうまくいかないことばっかりなのです…
それがこの道の醍醐味じゃないですかっ!
我々がめざす頂(目的)を言い換えれば「ゆめの森軸」
「ゆめの森軸」を目指して
子どもと共に登る道一つ一つが「ゆめの森の道」になる…
そして、子どもの幸せのためにデザイナーとしての
心技体を磨く道こそ「ゆめの森道(どう)」というものです!


私たちは、頭から湯気が出るような…
お耳が日曜日になってしまうような…
そんな没頭して遊ぶ子どもの姿を大切にしている…
そのためにはどうすればいいのか…
何を伝え、何を言わず、何を出し、何を引くのか…
「ゆめの森道」を極めるために奮闘中です…
その姿を導くために、絵本に触れ合う時間をすごく大切にしています…

南郷園長による絵本の読み聞かせ
人が変わると違う絵本にも感じる…
いろんな人の声による読み聞かせを大切にしていきたい…
子どもに応じておもちゃを作り…
時に遊ぶ場所を変えてみる…
デザイナーがねらった方向に進まなくても…
それが子どものめざすもの…
ならばじっくりお付き合い…
砂と水 夢中にさせるペアですね…
土と水 熱中させるコンビですね…


デザイナーも子どももただいま絶賛成長中!