はじめまして、大熊町教育委員会です(前編)
大熊町って?
大熊町は、福島県の「浜通り」と呼ばれる太平洋に面した地域にある、人口1万人ほどの自治体です。とはいえ、普通の町とは少し事情が異なります。
2011年3月11日の東日本大震災に伴う原子力発電所の事故で、一時は全ての町民が町外に避難しました。「全町避難」と呼ばれるその状況は8年余り続き、町役場が町内での業務を再開したのが2019年5月。それから、公営住宅が建ち、商業施設ができ、福祉施設が完成し、2021年9月には交流施設と宿泊施設がオープンしました。私たちはまさにゼロから町ができていく、真っただ中にいます(写真は上が2016年、下が2021年時点の復興拠点です)。
そこに、ようやく町の学校も戻ってくることになったのです。
0歳から15歳までの学校「ゆめの森」
新しい学校の名前は「大熊町立 学び舎 ゆめの森」と言います。便宜上、「学校」と紹介してきましたが、認定こども園と義務教育学校が一体となった施設です。従来の枠組みでいうと保育所、幼稚園、小学校、中学校が同じ施設に入っているイメージ。つまり0~15歳が一緒に遊び、学ぶ場です。
「混在」というのはキーワードの一つ。先日、設計が完了したばかりのこの学び舎の模型をご覧ください。
実は私は、これまでほとんど学校建設の議論に関わってなかったので、これを見て正直「ん?これ、学校?」と思いました。教室は一応ある(らしい)のですが、壁は動かせるし、こども園と義務教育学校も特に仕切られていません。真ん中にある図書ひろば(これも図書「室」ではない)を中心に、ぐんぐんと空間が伸びて広がっていく感じ。
こども園と学校に制度上は分かれても、1~9年の学年の区別はあっても、みんなが必要に応じて同じ空間を共有することができるつくりになっています。年齢や性別、障がいの有無などで学びの場を分けることなく、一緒にいることが当然。0歳が寝転ぶその先で15歳が読書する、そんな風景を当たり前にしようとする学び舎なのです。
理想は0~100歳の学び。大熊に「ゆめの森」が必要な理由
「ほんとは社会教育施設の中に学校をつくりたかったんだよ」。教育長・木村政文は言います。つまり、地域の公民館のように、老いも若きも集える施設の中に学校があればいいということ。義務教育自体が年齢で対象を区切るものですから、地域に開かれた社会教育施設が学校を包み込んでくれれば、子どもたちはより実社会に近い環境で、より多様な学びの機会を得ることができます。
現実的には、社会教育施設と学校の一体化にはハードルが高く、学校としての整備になりましたが、できるかぎり校舎は地域に開き「0歳から100歳までの学び舎」を目指すつもりです。木村は今も「学習指導要領の枠内で、最大限の多様な学びを」と話しています。
個性を認めながら、みんなが一緒にいる学び舎。地域に開かれ、子どもたちが先生以外の大人とも触れ合う機会がある学び舎。これらは大熊の教育が震災後10年の経験の中で得た方向性と言えます。後編では、ここに至るまでの経緯をお伝えしたいと思います。
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