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【日々の記録】”もくとう”について

今日は、新校舎に来て初めての3月11日です。

会津にいた昨年も、大熊町で行われた3.11のつどいに参加したゆめの森。大熊町に戻って仲間が増えた今年も、みんなで3.11のつどいへ参加することになりました。

今日のつどいに参加するにあたって心配だったのは、幼いみんなが黙祷の意味を理解しているのかどうか、ということでした。

そしてもう一つ、震災が起きたのは2011年。最上級生の9年生が2歳の時のことです。7年生でさえ0歳だった当時のこと、いまゆめの森に通う1年生から6年生は3.11を直接経験していない世代です。
今日の全校道徳は「東日本大震災で何があったのか」「大熊町で何があったのか」の二点を知って、その上で3.11のつどいに臨む気持ち作りをすることでした。


先だって行われた全校道徳で最初に視聴したのは、この動画(1:30~)。無音で流し、「なんの場面か分かる?」とたずねました。

「動画停止してるんじゃない?あーでも真ん中の人が途中まで歩いてるから違うか」「地震だとしたら立ち止まらずにみんな飛び出すだろうし」。下級生が首をかしげる中、経験豊富な九年生が「黙祷の様子だと思います」と答えてくれました。
「黙祷したことある?」と尋ねると、多くの子どもが手を挙げ「学校でした!」と回答。次に「黙祷が何かよく分からないよって人はいるかな?」と尋ねると、一年生を含める数名は分からない…と静かに手を挙げてくれました。説明に立候補してくれた児童が、「黙祷っていうのは、人がたくさん亡くなった時に手を合わせたりして…なんていうんだろう」と言葉を選びながら下級生に説明してました。黙祷は、自然災害などで多くの人が亡くなった時に、その人を弔うために静かに祈ることだよと補足説明をしました。「とむらう」、「いのる」、どちらも下級生には難しい言葉だろうと思っていましたが、「亡くなった人のために」という言葉で子ども達も概ねの意味を理解したようです。

東日本大震災で何が起きたか。説明にあたって、当時の記録映像を視聴しました。ただ、当時の映像はどうしても精神的な負担を与えるものです。デザイナー達で子ども達の様子をよく見ながら、慎重に映像を視聴しました。
地震の多い国に生まれた子ども達、危険を覚える程の地震を体験したことはあっても、映像の中で起きている地震の大きさを見てこんなに揺れたのか、とショックを受けた表情でした。つづく津波の映像では「撮影者の人は大丈夫だったのかな」「これが残ってるってことは大丈夫なんじゃない?」と心配そうな表情を浮かべています。つづけて視聴したのは、当時の大熊町の様子。みんなが思い出しているのは、ネイチャーラボで訪れた役場で懐中電灯を使ってしてもらった放射線の説明です。
「光を出す力が放射能、出た光が放射線。放射線は、人体に有害な影響を与えるものです。」
目に見えない怖い物から逃げた当時の大熊町民。少ない荷物を持って田村市周辺の体育館へ避難した大熊町を受け入れてくれたのが、会津若松市でした。「よくこらったなし」という言葉で住民を迎え入れてくれた会津の皆さんの写真を見て、少し暗い表情を浮かべていたみんなの表情が和らいだように見えました。

学び舎ゆめの森 河東校舎にて

会津で始まった学校の写真を見て、「(子どもの)人数が多い!」とびっくりした声を浮かべる児童。「みんなだったら、町に戻るのに10年以上かかったら、ずっと待ってられそう?」というデザイナーの問いかけに、「待てない……」「場所が変わったら、いろいろ変わるもんね。」と、生まれてから10年も経っていないみんなは悩ましい表情で昔の写真を見つめていました。
ですが、八人が過ごした昨年もその前もずっと、スポーツフェスティバルなど様々な行事には人がたくさん訪れていました。それは会津地域に避難した大熊町の人が、離れた所に住む大熊町の人が、そして会津の皆さんがみんなのために集まってくれたから。誰かのことを10年以上応援すること、それは決して容易なことではありません。3.11から大熊町とその学校がどんな道を歩んできたのかを知り、やっと2023年の学び舎ゆめの森に辿り着きました。

そして最後に視聴したのは、昨日放送されたNHKスペシャル。津波で犠牲になった方を埋葬した当時の職員の方のインタビューを見ました。

言葉を詰まらせながら話す職員の方。
見終わった後、一年生が思わず「かなしそう……」と言葉をもらしました。「13年経ってもみんなが黙祷をするのは、震災を体験した人にとって、ずっと”震災後”がつづいているからなんだよ。」と、黙祷についてデザイナーの一つの考えを伝えました。そしてみんながタブレットで亡くなられた方の数を調べ、驚きの表情を浮かべていました。自分の大切な人が一人でもいなくなったら悲しい。そんな誰かの大切な人が二万人以上亡くなったこの日に、2時46分からの1分を黙祷に捧げて欲しい。長い長い1時間の道徳が終わりました。

「自分達の学校は自分達でつくる」

そして3.11のつどいに向かう前、図書ひろばで前町長の渡部利綱さんをお招きして震災直後の大熊町についてお話をいただきました。「未来を担う子ども達を第一に」。震災直後、短い時間の中で協力を仰ぎ会津若松市から快諾を頂いた当時の話は、当時のことを知った子ども達にとって強く響いた様子でした。

「やってみたいことがあれば、たとえ一人でもやる」

今日のゲストはもう一方、国会議員の小泉進次郎さんです。家族との思い出がたくさんある福島県のためにできることをしなければ、との強い思いで復興に尽力された当時のお話を伺いました。子ども達も、お二方のお話から大熊町の復興につづく道がどのように形作られたのかを知ることができたようです。

そして午後、つどいに向けて出発しました。

3.11についてたくさん考えを巡らせたみんな
黙祷に臨む様子

3.11について話すことはとても難しいことです。心優しい児童が、「大人でも震災のこと話すのつらいのに、どうして話すの?」と尋ねてきました。多分その答えは、先のNHKスペシャルの皆さんと同じく、語ることで後世の人が少しでも救われるように。そして、亡くなった方のことを忘れないでいてもらえるように。
大きな自然災害を防ぐ方法は残念ながらありません。いつかやってくるその日、先人が残してくれた思いがみんなと大切な人を守ってくれるように。記憶の伝承だけでなく、次は減災のための授業をみんなでしなければと感じます。

帰り道、「黙祷でなにを考えたら良いか分からない」と話していた児童も笑顔で帰路についていました。
大熊町の学校で3.11をどう伝えればよいか、きっとこれからもこの苦悩は続いていくことと思います。

いまここにいられるのは大人が辛い思いをしたけど今になって夢や希望がある子供に幸せな思いをしてほしいと思ってくれたことが嬉しかった

3.11のつどい 振り返りから

正直、震災のことは全く覚えていません。しかし、覚えていないからと言って、忘れてはならないことだと胸に刻みました。まだ、生まれていない子達にもこのことを忘れてほしくないです。

3.11のつどい 振り返りから

それでも、子ども達が今日を振り返ってまとめてくれた言葉達を見れば、今日の活動は決して無駄ではなかったのだと思います。
長い時間、聞くのもつらい話を正面から受け止めてくれたみんな。この大熊町で、子どもたちが自分と相手を大切にしながら夢を叶えていける教育活動をすること。

ゆめの森のVISIONである、「わたしを大事にして、あなたを大事にして、みんなで未来を紡ぎ出す」

ゆめの森の責務を改めて感じる1日となりました。