見出し画像

【日々の記録】「わちゃわちゃ」の後に

皆さん、こんにちは。
新年度2日目。
今日は朝からメンバー全員で「学び舎ゆめの森経営運営ビジョン」の共有です。
このnoteの読者諸子、すでにご存知の方も多いと思いますが、学び舎ゆめの森の目指す世界観は以下のとおりです。

「わたし」を大事にし
「あなた」を大事にし
みんなで未来を紡ぎ出す。

学び舎ゆめの森vision

南郷市兵GMが、私たちに語りかけます。
「皆さんは、この言葉をどう理解しますか?
ぜひこのヴィジョンを自分の言葉で語れるよう考えて欲しいと思います。」

大切な話を聞き漏らすまいと耳を大きくしながらも、いつもの癖で私の心は宙を漂いはじめます・・・。私は・・。私は・・・・。
・・・「わたし」とは、文字通り「私」である。
・・つまりこの言葉は、子どもだけに向けられたことではなく、ここに集う私たち全員に向けられたものであると。
もちろんゆめの森は「義務教育学校」であり、全てにおいて子どもたちが優先されるべきです。
しかし「こどものために」という美名のもと、自身を犠牲にしたり、誰かを蔑ろにするようなことは望みません。
ゆめの森には児童生徒だけではなく、聴講生もいます。
また、デザイナー一人一人にも夢があり、信条があるでしょう。
さらに、ゆめの森は学内だけではなく、地域とともに共創してゆくもの。
ゆめの森は「学校」の枠を越え、地域の拠り所であり、文化の発信拠点でもあり、もはや町の希望の象徴であるとも感じます。
我らが学び舎は、子ども、職員だけではない無数の想いを乗せ大海を進んでいます。
だからこそ、どこよりも開かれた老若男女の学びの場であってほしい。
・・・私見ですが、最近強く思います。
皆さんは、どうですか?
一見叙情的なゆめの森ヴィジョンを、皆さんならどう考え、どう説明なさるでしょうか?

わちゃわちゃの後を振り返れば・・。

臆せずさらに続けます。
「教育」というものを考えるとき、よく
「子どもの未来のため。」
「すべての子どもの幸せのため。」のような文言を耳にします。
もちろん同意です。反論はありません。
・・・しかし、反論できないからこそ、微かな居心地の悪さを感じてしまう私もいます。
あまりにも綺麗すぎるじゃありませんか・・。
禿頭を撫でているようと形容しましょうか。今ひとつ面白味に欠けるのです。

教育の目的を考えたとき、国民国家として納税の義務を果たせる大人を育てるという「国家的要請」も側面としてはあるはずです。
無論、それは教育という無数の多面体の一側面に過ぎません。教育について論じれば百人百通りの意見があり、そこに絶対的間違いはないと思うのです。
それら無数の意見を耳触りの良い「子どものため」という言葉に収斂して済ましてしまうのはあまりに惜しいではありませんか。

「ゆめの森公式noteを私物化するな!」
もう一人の私の怒号が聞こえてくるようです。その怒号に同調される方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、それでいいのです。
「黙っていられん!」「じっとしていられない!」は主体性の証。
主体性が集まれば良くも悪くも「わちゃわちゃ」します。

しかし「わちゃわちゃ」の後を振り返れば、くっきりとゆめの森の「轍(わだち)」が残っている・・。私も、そう信じます。

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!