見出し画像

【日々の記録】 掌上のいのち

皆さん、こんにちは。
突然ですが、皆さんの好きな食べ物は何ですか?
私は、レアに焼いたステーキに、ペペロンチーノ、最近では生ラムネ。
食の好みは初対面の人とも気軽に話せる定番の話題ですよね。当然皆さん毎日何かしら食べているでしょうし、「食」へのこだわり、「食」の思い出などはまさに十人十色。話が尽きることはありません。
このように私たちは毎日「食」を楽しんでいるのですが、その「食」はどういう過程を経て食卓に並ぶのでしょうか。
例えば、ステーキ。無論ステーキが食卓に並ぶまでどのような工程を辿るのか理解しているつもりです。しかし、つぶさにその過程をこの目で確認することはありません。頭で理解はしているけれど、体験としては0(ゼロ)に等しいのです。

昨日のことです。給食後1〜7年生までが、葛尾村にある大笹養鶏場にお邪魔しました。バスで片道1時間。子どもたちには十分長旅です。物見遊山ではありません。鶏(ブロイラー)の雛を貰いに行ったのです。ブロイラーですから、ペットではありません。食肉用の鶏の雛を頂いてきたのです。なぜ?

大笹養鶏場の髙橋さんとご挨拶。

学び舎ゆめの森では、子どもたちが話し合い、ネイチャーラボ活動の一環として
家畜を育てることになりました。以前もここで紹介したかもしれませんが、
「本当のいただきますが言えるようになりたい。」
家畜を飼うに至った子どもたちの動機です。しかし、自分たちで家畜を育て、肉にし、いただくことは、なかなかどうしてそんな生やさしいものではありません。
この試みを、単なる作業にせず、きちんと哲学まで昇華できるのか、ゆめの森の挑戦が始まります。

身近なニワトリ。でも初めて知る事がたくさん!

「今日はよろしくお願いします。」
「いらっしゃい。今日は鶏についてよーく勉強していってください。」
大笹養鶏場の髙橋さんが優しく出迎えてくれました。周囲には大きな鶏舎がいくつも建っています。その規模に児童生徒も目をキョロキョロさせています。そして、辺りには当然ですが鶏糞の匂いが漂っています。私は内心しめしめと思います。案の定、漂う匂いに顔を顰める児童がいます。生き物を飼うということは、もちろん糞の片付けも含まれます。ただの可愛い可愛いだけでは通用しません。匂い、糞もふくめ全てを受け入れる「覚悟」が必要です。匂いで騒ぐようでは到底家畜を飼うことなんてできません。まず、この匂いに慣れること、くさいから嫌だと簡単に逃げ出さないこと。それも自分たちが決めたことに責任をとるということです。
鶏糞の匂いも、自分たちの試金石。負けるわけにはいきません。

鶏舎の前に集合し、説明を受けます。なんと一つの鶏舎に4万5千羽の雛がいるそうです。この雛たちは50日の飼育を経て出荷されます。以前は70日かかったそうですが、餌が改良され飼育期間が短くなったとのこと、欧米では小さめの鶏が好まれるので生まれてから30日で出荷されること、卵を産むようになるためには120日の飼育が必要となることなど新しい発見がいっぱいです。家畜班の児童はひっきりなしにペンを動かし、一つも聞き逃すまいと一生懸命です。彼女の真摯な眼差しに、先の「覚悟」が感じられます。

大切な情報を一つも聞き漏らしたくない!

「それでは、鶏舎の中に入ってみましょうか。」
髙橋さんが、鶏舎の中に案内してくれます。
「雛は病気に弱いです。鳥インフルって聞いたことがあるでしょう?あれは外から人間によって持ち込まれます。ですから、皆さんの靴では中に入れません。」
鶏小屋だなんて、簡単に考えてはいけません。なかなか管理は厳重のようです。
髙橋さんが続けます。
「それから雛は、寒さに弱いです。一年を通して雛は30度、成長するにつれて温度を下げていき成鳥になったら18度に保ちます。今、まだ雛ですから、中は暑いですよ。」
前室で、靴にカバーをかけます。長靴の裏は消毒液でしっかり消毒します。前室の段階から、部屋は湿度の高い熱気に満ちていて汗が出てきます。匂いもさらに強くなったようです。
「神よ!我に試練を与えたまえ!」飼育する覚悟を強くもつために、私は一人修行僧の心境に陥っています。
「あつい〜。」「くさい〜。」泣き言も聞こえますが、家畜を飼育するためには不可欠な試練です。「試練を与えよ!試練に耐えよ!子どもたち!」心の中で一人唱えます。

45000羽の命が蠢く鶏舎

鶏舎内は、一面に数えきれないほどの雛が、か細い鳴き声をあげています。鶏舎の暑さは想像以上です。
「夏はいいけど、冬はこの温度差でしょう?まず人間がやられてしまします。」
髙橋さんは笑顔でさらりと言いますが、この蒸し暑さなら、さもありなんです。
意外にも児童たちはこの環境の中、目の前に現れたひよこたちに釘付けです。先ほどまでの弱音も止み、一様にいとけなきひよこたちに心を吸われたようです。
「かわいい〜。」「ちいさ〜い。」誰に言うでもなく、皆呟いています。

小さなひよこに釘付け

「今から餌をあげますね。ほら鶏舎の床に紙が敷いてあるでしょう。この紙は毎日交換します。これはね、餌を撒いた時に音が鳴るように敷いてあるんですよ。」
「え?どうして?」「おと?」子どもから素朴な質問があがります
「今からやるから見ててね。」
髙橋さんが餌を撒いていくと、なるほど餌がシートに当たりパラパラと音がします。すると雛たちが音を聞きつけて、一斉に髙橋さんの足元に群がってきます。
「ねー。雛のうちに音を聞いて餌の時間を覚えさせるんですよ。」
「へーーー。」納得の児童たちから声が漏れます。

なんでも丁寧に答えてくださる髙橋さん

ひよこを前に子どもたちの質問は尽きません。
「餌は?」「オスとメスはどうやって見分ける?」「水はどうやって?」きりがないほど質問が挙がり続けます。「はい。」「はいっ。」「あの〜。」
ここには書き尽くせない程、鶏について髙橋さんには丁寧に教えてもらいました。

見学が終わり、鶏舎の外へ出ます。中とはまた大違い。外は葛尾村の寒風が吹きつけてきます。それでも質問は止まりません。
「鶏を出荷するとき、どんな気持ちですか?」なかなか鋭い質問が髙橋さんに向きます。
「俺たちは、これで生活させてもらってんだよね。そりゃ可愛いって思うこともあるけど、そんだけじゃ仕事にならない。大きく育て、出荷して肉になってもらわなきゃ、俺たちもご飯食えないわけ。だから、やっぱり特別にありがとうって気持ちになりますね・・。」
実際にお仕事をなさっている髙橋さんの生の声には、やはり力強い説得力があります。改めて、食肉の生産者の皆様に頭が下がる思いです。

質問の挙手が次々と

最後、私たちは大笹養鶏場より、生まれたての雛を10羽譲り受けました。無論ペットとしてではなく、家畜としてです。今ゆめの森理科室では、心細そうに10羽の雛が体を寄せ合い鳴いています。見れば確かに可愛いです。しかしそこだけにほだされてはいけません。私たちにはこの雛たちを立派な成鳥に育て、肉にしていただくという大きな使命があります。
近い将来、このいとけなき雛たちはゆめの森を大きく揺さぶる存在になるでしょう。いや、大きく揺さぶってくれる存在でなければ困るのです。
私たちはこの10羽の雛たちを通して、「命をいただく」ということとそれぞれ対峙することになるでしょう。そう、この10羽の雛たちは、愛くるしくも、我々に無限の思索を突きつける巨大で難儀で、そしてありがたい存在なのです。

言わずもがな、私たちは毎日、幾つもの命をいただいています。生産者、また食材そのものに感謝の念をもつために食肉が食卓に届く過程、工程を知る必要はあるでしょう。実際、大笹養鶏場に行き私自身、皆様のお仕事を拝見し、感謝の念を新たにしました。
しかし、食肉が食卓に届く過程、工程を全て自身で経験する必要があるかと問われれば、私見ですがそうは思いません。社会には無数の仕事があり、それぞれの働きのおかげでもって成り立っています。「お陰様で」の謙虚な心は大切ですが、全てを自身で体験することは不可能です。もちろん各人意見が分かれることでもあり、正解がある問題でもありません。

ただ、賛否は色々あるにせよ、私は子どもたちが下した決断「本当のいただきますが言えるようになりたい。」を応援したいと思います。
この課題は一筋縄には行きません。葛藤、挫折、多くの問題が起こることでしょう。いや、むしろシステマティックにことが運ぶより、多くの問題に突き当たることを願っています。「我に試練を与えたまえ!」繰り返しですが真情です。
その試練、問題から目を背けず、議論し、哲学にまで昇華できるのならば、児童たちの最終的な結論決断を両手をあげて支持します。しかし、妥協、逃避、放擲がもたらす結論決断ならば、我々大人も断固と阻止する「覚悟」が必要となるでしょう。
いずれにせよ、腹を決めなければ進めない大きな課題が、今、かよわき雛の形を借りてゆめの森に舞い降りました。これからの活動を見つめていきたいと思います。


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!