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【日々の記録】筆の先から見えたもの

皆さん、こんにちは。
3連休明けから1日すぎて。
今日のゆめの森、いつも以上に賑やかです。
どうやらパワーが有り余っている児童が多い模様。
縦横無尽に本棚階段を駆け回る音が喧しく響いています。
「元気なのはいいけど、怪我だけは気をつけてよ。」
朝の会でしっかりとデザイナーに釘を刺されてしまいました。
先日も「行動にメリハリをつけよう」との呼びかけがあったばかり。
「楽しいこと」「遊ぶこと」は私も大好きです。
でも、「楽しむこと」と「ふざけること」は同義ではありません。
「楽しむ」と「ふざける」。どんな違いがあるのだろう。
みんなで一生懸命考えて、この二つにパキッと白黒つけて新学年を迎えたいものです。

さて、みなさま。「タギング」という言葉をご存知ですか?
試しに児童に投げかけてみれば、
「なにそれ?カンニングなら分かるけど。」ボケた回答が戻ってきます。
ちょっと調べてみましょう。

タギング(tagging)とは街のあちこちに見られるマーカーやスプレーペンキで描かれた落書きの一種で、特に個人や集団のマーク(目印)とされるものを描いて回る行為・またはそれによって描かれたモノである。米国はフィラデルフィアで発祥した文化である。

出典ウィキペディア

にべもなく、ウィキペディアでは「落書き」と断じています。そのほかにも、「描いて回る行為」など、言葉の端々からこの文の作者の苦々しさが伝わってくる書き方がされています。確かに高架下などに書かれたスプレー文字にそこはかとなく治安の悪さを感じ取ってしまう御仁も多いことでしょう。しかし、別のサイトではこう解説されています。

1980年代に入ると、ストリートで活動していたキース・ヘリングやジャン=ミッシェル・バスキアなどの若手アーティストが、アンディ・ウォーホルなどメインストリームを走る有名アーティストと肩を並べ、美術界も注目するように。そうした商業的な機会からストリートアートはより多くの人に認知され、公共物に無断でペイントする「破壊行為」から芸術の一形態として称賛されるようになったのである。

NEW ART STYLEより引用

そう、元々はギャングたちの「落書き」が、精巧に様式化され、コンセプト性の高いアートへと変貌を遂げたようです。
さて、ここまで頭に入れた上で、本題に入りましょう。

麗しき「墨の女王」

本日ゆめの森にスペシャルゲストがお越しくださいました。
書道アーティストであり、書道タギング作家でもある星湖(せいこ)さんです。
先月はアメリカラスベガスでパフォーマンスを行ったほどの実力派です。
「皆さん、こんにちは。今日は一緒にタギングアートにチャレンジしてみましょう。」
まさに星を満々とたたえた湖のようにキラキラしていて眩しいくらいの星湖さん。その魅力に頭がくらくらするようです。

まずは、タギングについて。「タギング?ジョギング?走ること?」

実は星湖さん登場から遡ること1時間前。我らゆめの森では遅くなった「書き初め会」を行なっていました。
今年一年の目標、座右の銘などを筆でしたためていたのです。
使い慣れない毛筆に漆黒の墨汁。目の前に敷かれた長半紙。
自ずと背筋は伸び、息をつめ、唾を飲み込み、一つ一つしたためました。
先ほどまでのおしゃべりは、水を打ったように鎮まり、どの児童もゆっくりゆっくり筆を進めます。

息を詰め、魂を刻む。
一文字書いたら、ちょっと休憩。


「うん。やればできるじゃない。」
したためられた文字も、児童生徒の横顔も、パリッとメリハリが効いています。
「できたー!」詰めた息をふうと吐き出し、児童が筆を置きます。
「けんこう」「仲良し」「どりょく」。どの作品からもそれぞれの個性が筆の先から滲み出たようで微笑ましくなります。中には「計算上手」と切実なものもあり、クスリとしてしまいます。
黒黒と、堂々と、どの文字も黒白つかぬ名作揃いです。
それぞれが、折り目正しく楷書を書き上げ、一息つきます。

並ぶ力作。黒白つけられぬ名作の数々。

ここでお待ちかね星湖さんの登場です。
漆黒のドレス、黒い爪、青い氷の女王ならぬ、墨の女王です。
まずは星湖さんのパフォーマンスが始まります。
児童生徒たちの前に掲げられた大きな紙に、筆捌き鮮やかに文字が描かれていきます。そう星湖さんは文字を「書く」のではなく、「描く」のです。
「ミミズののたくったような」は悪筆の表現ですが、星湖さんの文字もある種「のたくった」と言いましょうか・・・。いえ、語弊がありますね。情熱がのたうち回るというか、うん、熱情が奔流すると言いましょうか。
激流が巌を削り、峻険を創り出すように、筆の先端より無数の感情が迸り、白の平原に険峻を刻んでいきます。その渓谷を読み解けば「YUMENOMORI」のアルファベット。上級生を中心に「ゆめの森だ。」の声が澎湃と起こり、拍手喝采です。
「大したもんだ。」私自身、何処目線かわかりませんが、腕組みし仕切りに頷いてしまいます。

熱情が奔流となる。

さて、今度は児童生徒の出番です。
楷書のような筆運びのルールはありません。思ったように好きな形で字を「描く」のです。気軽に鯱張らずに描くのが肝要のようです。
各々自由に色も形も囚われず、タギングアートが完成していきます。
華やかな色で将来の夢を描く子もいます。今の空腹を肉汁滴るような雰囲気で描き出す子もいます。空を舞うような伸びやかな筆致で名前を描く子もいます。
まさに十人十色。星湖さんも児童生徒の表現に感心しきりです。

「親切」を色で表してみたよ
「素敵だね」と声かければ、「恥ずかしいよ」とこの表情。

最後に星湖さんがしたためた「温故創新」の文字の周りに児童生徒が自由に思いのままを描き込んで協働作品の完成です。
これはゆめの森の大切な宝物として、代々受け継いでいくであろう傑作になりました。
本日お越しくださった星湖さん。本当にありがとうございました。またゆめの森に遊びにきてくださいね。

え、ここに描くの?なんだかもったいない・・。
恐る恐る、次第に堂々と作品を重ねてゆく。ゆめの森の大作作成中。

「折り目正しい楷書体」と「自由気ままなタギング」。
今日は同じ筆を使って、似て非なる二つを味わう貴重な1日となりました。

冒頭投げかけたゆめの森の課題に戻りましょう。
似て非なる「楽しむ」と「ふざける」。この二つの違いとは・・。
今日の活動で例えるなら・・・
「楷書」は楽しむもの。「タギング」はふざけたもの・・。
古希を過ぎた私の父親なら、今日の二つをこう断定しそうです。
その様子までありありと目に浮かび苦笑してしまいます。
しかし、果たしてそうでしょうか。
「タギング」の歴史・・「落書き」が次第に様式化され、洗練され、アートとしての地位を確立した・・・。
どうやら、自由気ままなタギングにも様式、いわばルールのようなものがあり、放埒放恣ではないようです。
では、アートとしてのタギングを「芸術だ!」と公共物に無断でペイントすれば・・・
残念ながら、それは「破壊行為」とみなされてしまいます。これまた勝手気ままとはいきません。
どうやら物事を楽しむためには、ある種のお約束が必要のようです。
「楽しむ」と「ふざける」。
この二つを隔てるものが、今日のワークショップでぼんやりと見えてきました。一つの行動も、心構えや見方・考え方が変わると見え方が変わってきますね。心が前にあると、それが心構えに昇華していくのかも…


みんなにも読んでほしいですか?

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