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【取材#11】保育の新しい文化を生み出す仕事(藤川優佳理)

認定こども園と義務教育学校が一体となり、0歳〜15歳のシームレスな学びを目指す「学び舎 ゆめの森」。認定こども園の4.5歳児のチーフを務める藤川優佳理デザイナーに、ゆめの森の保育の特徴、大切にしている考え方や、デザイナーとしての働き方について、お話をお聞きしました。

※「学び舎 ゆめの森」では主任を「チーフ」、保育教諭・教師を「デザイナー」と呼んでいます。

〈プロフィール〉
藤川優佳理デザイナー(認定こども園 4.5歳児チーフ)

大熊町出身。震災前は、大熊町保育所で保育教諭として6年勤務。震災による全町避難後は、大熊町役場いわき出張所で窓口業務に従事。
令和元年、大熊町の一部避難解除によって町役場新庁舎に役場機能が戻り、産業建設課へ異動。商業観光業務に携わる。大熊町商業施設「おおくまーと」、宿泊温浴施設「ほっと大熊」の整備業務を担当し、施設の設計・業者選定・テナント調整など、保育とはかけ離れた仕事に携わる中でさまざまな経験と出会いを得た。令和4年から教育総務課に異動となり新しい学校建設に向けた調整業務を担当。
役場の行政事務を計10年経験した後、令和5年4月から、大熊町立学び舎ゆめの森の立ち上げのタイミングで保育の現場にデザイナーとして復帰。2人の子どもを持つ母でもある。

「大熊町に子どもが戻ってくる日がきっと来る」


―震災による全町避難で保育を離れ、大熊町役場の事務を10年経験された後、保育の現場に復帰されたんですね。その時の想いを聞かせてください。

私はずっと、「保育の現場に戻りたい」と思っていました。10年間の間は、「今やっていることは、いつか大熊町に子どもが帰ってきた時に、子どもと関わるところに戻るためなんだ」と自分に言い聞かせて、耐えていた感じです。
「おおくまーと」や「ほっと大熊」の整備の仕事をしていた時も、「この施設をより良くして、大熊町に住民の方々が戻ってきてくれたら、子どもも戻ってきてくれる。その時まで頑張ろう」という想いでした。

―経験されたお仕事は、いわき出張所の頃の窓口業務など、保育とはかけ離れていますよね。

いわき出張所の窓口業務も、保育と繋がっている部分もあったと思っていて。私はとにかく人が好きなので、お年寄りが窓口に来たりすると、お困りごとなど話を聞いて、コミュニケーションを取っていくこともあります。「もしこのご家族が大熊町に戻ったら」と考えると、「大熊町に子どもが戻ってくる」という未来に関係がないわけではなかったので。保育の現場を離れていたのは辛い部分もありましたが、「子どもが大熊に戻る時のためにやってやるぞ!」みたいな。そんな気持ちでいたから続けられた気がします。
令和3年に、役場で行政職に就いていた今の渡辺滝マネージャー(副園長)から「学校再開するんだけど、保育に戻りたい?」と聞かれて「もちろん、戻りたいです!」と即答しました。

0歳〜15歳が共に学ぶ「学び舎 ゆめの森」ならではの、広がりある保育


―日々、子どもたちと関わる中で、大切にしていることは何ですか。

とにかく「やりたい」ことをやらせてあげちゃいたい。家ではできない遊びに没頭させてあげたい、と思いながら関わっています。
例えば、水たまりに入るとか、泥んこ遊びとか、雨に降られながらプールに入るとか。「やってみたいよね、触ってみたいよね。じゃあやっちゃいなよ」と。私も自分の子供だったら「水たまり入らないで」と自分の都合で止めちゃいますけど、家庭から離れているここだからこそ経験できる遊びを、いっぱいやらせてあげたいです。

また、子どもを子ども扱いしないように心がけています。「どうせ言っても分からない」ではなく、説明すべき時はきちんと説明すると、子どもたちはわかってくれるし、それを繰り返していくことで、子どもたちも私たちに色々と思いを伝えてくれると実感しています。

―学び舎ゆめの森ならではの、保育の特徴は何だと思いますか。

0歳〜15歳のシームレス教育なので、「人・空間・情報」の全てに広がりがあるところだと思います。
例えば、こども園で夏祭りを企画した時、年長さんの最後の夏の思い出だし、「お化け屋敷をやりたい!」って思いついたんです。デザイナー同士で「子どもたちにはサプライズでやろうよ!」と盛り上がって。
子どもたちに内緒でやるには、こども園の教室では準備ができないですから、「夏休み中の義務教育学校の教室を借りちゃおうよ」と。お化けの人数も足りなかったので「義務教育学校の先生にお化けをやってもらおう」と、マネージャー(副園長)に「お化け役の先生確保してください」と頼みました。南郷GM(園長)も近くに居たので、「何人お化け確保できますか?」と聞いて、予定を見て確保してもらって。GM、マネージャーとはそういう距離感で色々と相談できます。
当日はお化け役のデザイナーにぐるぐる包帯を巻いて。子どもたちが「キャー!」と怖がったり、喜んでいるのをみて、もう嬉しくて。子どもよりも私が楽しんでいたかもしれないです。

―子どもの「やりたい」だけでなく、デザイナーの「やりたい」もチャレンジできる環境なんですね。でも実現するには、色々とハードルがありそうです。

こども園のデザイナーみんなで、「できるかな」「こう言えばできるんじゃない」「あの人に力を借りればいいんじゃない」など意見をどんどん重ねていって実現させる、という感じです。
私が役場で仕事をしていた経験も活きていますね。例えばお化け屋敷を暗くするのに暗幕が要る、となったら「役場の備品管理担当の管財係に聞いてみよう」とすぐ行動に移して、暗幕を貸していただいたり。
他にも、産業建設課に居たので、ネクサスファームの職員の方とも繋がりがあるから、イチゴを保育で使えたらな、と思いついたり。建設にも関わってきたので、「この建材使ってるからこの建具は大切に使おう」など、日常の保育の様々な場面で、知識が役立つ時があります。
「保育を離れていた間の経験は、大熊町で保育の仕事に戻った時のために、私に教えられていたのかな」と思うことがよくあります。今までの全部が、無駄じゃなかった。

認定こども園のデザイナーたちと

デザイナーである私自身が、チャレンジを楽しむ


―そうなんですね。結果的に、いま大熊町にどんどん子どもたちが増えてきていて、奇跡のようなお話ですね。藤川デザイナーがやりがいを感じる時はどんな時ですか。

「ここに子どもを預けたい」って言ってもらえる時が、本当に嬉しいです。子どもたちだけでなく、お母さん、お父さんの心にも寄り添いたい、「何かあったら助けたい」と思って関わっているので。
どうしても転園しなくてはいけない事情のある方に「本当はここにずっと通わせたいんです」と言ってもらった時も、「やってきて良かった」と感じました。令和5年に新校舎での保育が始まった時はこども園の園児10名だったところから、今は26名(令和6年9月時点)に増えています。「ここで子育てしようって思ってくれたんだ」というのも嬉しいですし、決断をして帰還・移住する親御さん達も素晴らしいなと感じています。

―4.5歳児のチーフを担当されています。デザイナーの職場環境はどうですか?

この仕事、とにかく楽しいんです。遊びに来てるのかな、というくらい(笑)
ゆめの森では「仕事行きたくないな」と思うことが、ないんです。
通常、保育は女性が多い世界なので、先生同士の人間関係はすれ違いがあったり、女のキリキリとした部分が出てきやすいです。でも、ゆめの森のデザイナーたちは、ゆるしあえる幅が広いというか、意見を言い合っても後に引きづらない。それは、震災によって民間の職場を経験して戻ってきた人とか、色々な経験を積んだデザイナーが多いからかもしれません。何かあっても、お互い「私はこう思うんだけど、どう思う?」と確認し合えるし、迷う時は「こういう時って、こうじゃない?」と相談して、「そうだよね、間違ってないよね」となって、突き進めるというか。デザイナー同士の人間関係で悩むことがないのがとても楽ですし、デザイナー同士の仲が良いこと、心が安定していることは、子どもたちにも必ず伝染していくと思います。

―藤川デザイナーの描いている未来や、やってみたいことはありますか。

せっかく「学び舎 ゆめの森」として新しいこども園になったので、「やったことのないことをやりたい」と思っています。前年踏襲すれば楽ですが、やっぱり苦しんで生み出した時って、楽しいんですよね。それは役場の仕事で施設の整備に携わった時にも感じました。すごく苦しかったけど、その過程でたくさん学んだし、後から考えると楽しかったんです。
例えば3.4.5歳児の発表会も、「この年齢はこういうことをやる」っていう、お決まりのものがあります。でももっと色々な表現方法があるんじゃないか、って。やってみて失敗することも、いいのかな、と。もちろん子どもの様子を見ながら、安全に配慮した中でではありますが、発表会を創る中で、「学び舎 ゆめの森」の保育の新しい文化を生み出していけたらな、と。私たちデザイナー自身が遊び心をもってチャレンジすることが、子どもたちにも少なからず影響していくと思っています。

〈取材後記〉
「私、人が好きなんです」と何度も話してくれた藤川デザイナー。震災を経て、これまでの経験を活かしながら、「学び舎 ゆめの森」の新しい保育の文化を生み出すチャレンジをしています。デザイナー自身が楽しみ、挑戦しているエピソードを聞かせていただき、「学び舎 ゆめの森 認定こども園」の保育の現場で生み出される取り組みがますます楽しみになりました。