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【日々の記録】 じっと手を見る・・。

皆さん、こんにちは。
生憎の雨天。雨空の中、重い体を引きずって学校へ行くと・・。
職員用の玄関横、アリーナからは朝から元気な声が響いています。
「おはよう。」
「おはようございまーす!」
数名の児童たちは、朝からサッカーに興じています。すっきりと1時間目を迎えられるよう「自分の切り替えスイッチを見つける」活動の一つです。朝の体から、学校の体にスムースに切り替えられるよう、以前あるデザイナーから自分のスイッチを探してみようと呼びかけがありました。本を読んだり、鬼ごっこしたり、各自思い思い自分のスイッチを試しています。ちなみに私のスイッチは、職員室で歯を磨くこと。周囲の迷惑を顧みず、すっかりルーティーン化しています。
今日は、歯磨き前にもかかわらず、アリーナから響く声に刺激され、私の体も少し軽くなるのでした。
あ、そうか。みんなの声を聞くことも、スイッチの一つなのですね。
さあて、皆さんの「朝のスイッチ」はなんですか?

今日も皆さんと一緒にゆめの森を巡ってみましょう。

サニーレタスの間引き。・・間引きって何?
もっと良くするためには・・。

3時間目、創作工房にみんな集合しています。そうです。今日もネイチャーラボ開催です。デザイナーが、本日朝の会でネイチャーラボの連絡をした際、児童から、
「ネイチャーラボ、いよいよ第2章だね!」との発信がありました。
その通り。ふるさと創造学サミットも終わり、ネイチャーラボも新しい局面に突入します。新しい扉を開けるためにも、今日はまず、ふるさと創造学サミットの振り返りです。それぞれの班に分かれ、よかった点、改善できる点を話し合います。

内容だけじゃなく、発表の仕方まで改善点が次々と。

「最後まであきらめず、できたことがよかった。」
「緊張したけど、きちんとできた。」
「違う学校の人と仲良く話せたことがよかった。」などなどみんなのよかった点が次々と上がります。うん。でも完璧だったのかな?
「声がもっと大きい方がよかった。」
「iPadを見ないで、暗記して発表できたらよかった。」
「話すスピードが少し速かったのかな。」など改善点も上がってきます。各班から発表される改善点に、一同思い当たる点もあるようで、皆神妙な顔つきで耳を傾けています。私自身、自分が感じていた改善ポイントを児童自身で感じとり、こちらが指摘するまでもなく共有できたことに、空が晴れわたるような心境です。

その思いと相通じるように、いつの間にか雨も上がり晴れ間がのぞいています。
「よっしゃ、外で活動しよう!」
振り返りも終わり、第二章の幕開けです。それぞれの目的のもとに。皆元気に外に駆け出していきます。

畑じゃないよ。鶏小屋の土台だよ。
やばい!手に豆ができそう・・。

彼らの後を追って外に出てみましょう。
動物班の活動です。みんなでゆめの森の畑に集まり賑やかに活動中です。
「何やってるの?畑?花壇?」
「違うよ!鶏の小屋を作ってんの!」
小屋?・・・そうです。今日は鶏小屋作りのための土台作りをしているのです。寸法を測り、整地し、コンクリートブロックを敷設するために溝を掘ります。
「みんなでやれば、かんたんかんたん。」
勢いよく作業に取り掛かるメンバー。しかし、思った以上の土壌の硬さ、石の多さにメンバーから悲鳴が上がります。
「かてー!」「腰いてー!」「石だらけじゃん!」「泥だらけだよー!」
口々に不平を漏らしながらも、不思議に作業の手を止めるものはいません。
この現代で、全身で土に向かい合う経験が、やはり乏しいのでしょう。だからこそしんどいながらも、みんな新鮮さを感じ、クワを離そうとしません。

これでも、まだ半分の深さ。

途中から、野菜班も柵作りの経験を生かし、動物班に合流です。
「収穫の時とかは、手伝ってよね!」
可愛らしい憎まれ口を叩きながらも、「経験者」野菜班は少し得意げです。
いいんです。一応班分けは成されているものの、ネイチャーラボはゆめの森みんなですることですから。こんな労力の貸し借りも、改めてそれを確認するためには良い契機になったようです。
一時間程みんなで作業して、ようやくコンクリートブロック半分の深さに溝を掘ることができました。まだまだ先は長そうです。
「手に豆ができそうだよ・・。」
クワを離し、しみじみと手を見つめる児童がいます。
・・働けど 働けど 我が暮らし 楽にならざり じっと手を見る・・・
いつか習った「うた」を思い起こします。
必要は発明の母。苦労もまた然り。楽をするために、文明は発達しました。これは自明のことです。人間は本能的に楽をしたがる生物です。だからこそ近代文明、生産性の向上が実現しました。誰だって苦役はごめんです。
強制や、苦役の反対、「自由で」「好き」を探求する学びというと、本人の興味関心の赴くまま、自身に必要以上の負荷負担ををかけないストレスフリーの学びを想起する方もいるかもしれません。以前の私のように。
「嫌なこと、したくないことはしなくてもいい」と。
しかし、私見ですが最近思うのです。負荷負担があるからこそ、さらに言えば苦役があるからこそ、人は学び、発明を産み、自由の喜びを知るのであろうと。
新しいものを生み出すためには、陣痛を避けては通れないであろうことを。
話題が飛躍しましたが、今日の苦労が上手い具合にショートカットを生み出す発明に繋がってくれればと、願っております。
急がば回れよ。ゆめの森!